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福岡地方裁判所 昭和29年(行)11号 判決

原告 木本新一

被告 小倉市教育委員会

主文

原告の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、請求の趣旨

「被告が昭和二十九年七月十七日教庶第一八八号を以て原告に対してなした小学校定期監査拒否の意思表示は無効であることを確認する。」との判決をもとめる。

二、請求の原因

(1)  原告は昭和二十八年三月二十四日学識経験者として選任された小倉市の常勤の監査委員である。

(2)  小倉市の監査委員である原告及び訴外佐々木亀は、昭和二十九年八月二日から小倉市内の全小学校の定期監査を実施することゝし、同年七月十三日この旨被告及び全小学校に通知したところ、被告は同年七月十七日請求の趣旨掲記の書面を以て原告等に対し、原告による右監査はこれを拒否する旨の意思表示をし、併せて全小学校に対し原告による監査を拒否すべき旨通牒した。そのため、原告等において予定していた右監査の実施は結局不能となつた。

(3)  被告において、右のように原告による右監査を拒否した理由は、前示書面によれば、原告には監査委員として人物識見ともに遺憾の点が多々あるというのである。しかし、原告に対する右のような個人的理由を以て、その監査を拒否することは許されないのみならず、原告については右のような事実は存しないのであるから、被告が原告による監査を拒否することはいづれにしても地方自治法の規定に違反し違法である。原告はその職務権限に属する右監査を被告により違法に拒否されたゝめ結果被告との関係においてはその職権の行使を妨げられ且つその所定の権限を剥奪されたことに帰する。よつて被告のなした右監査の拒否処分が無効であることの確認をもとめる。

三、被告の答弁

(1)  本案前の答弁

(イ)  「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をもとめる。

(ロ)  被告は当事者能力を有しない。

原告は小倉市教育委員会を被告とし、教育委員長である訴外春永孚をその代表者として本訴を提起した。しかし、教育委員会法その他の法令において、教育委員会を以て法人とする旨の規定は存しないし、又、右教育委員会を目して人格なき社団又は財団ということもできない。従つて、被告は本訴において当事者能力を有しないし、まして、単に教育委員会の会議の主宰者にすぎない(教育委員会法第三十三条第三項)右春永孚において被告を代表することもあり得ない。従つて原告の本訴は不適法である。

(ハ)  本訴はいわゆる機関訴訟である。

本訴は普通地方公共団体である小倉市の機関である監査委員たる原告と、同じく右小倉市の機関である被告教育委員会との間に生じた原告の権限の行使について生じた紛争であるから、本来小倉市内部において解決さるべきものであつて、特段の規定のないかぎり訴訟を以て争うべき問題ではない。しかるに、現在地方自治法その他の法律において、本件の如き監査委員の権限の行使に関する紛争について出訴することを認める規定は存しないから、原告の本訴は不適法である。

(ニ)  原告の主張する被告の本件監査の拒否は行政処分ではない。

原告が無効確認を訴求している対象は、被告において単に原告の監査に応じない旨の通知に止るから、何ら行政上の法律効果を伴う行政処分ではなく事実行為にすぎない。従つて、右は判決により無効確認をする対象とはならないから、原告の本訴は不適法である。

(2)  本案の答弁

(イ)  「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をもとめる。

(ロ)  原告主張の請求原因事実のうち、前掲(1)乃至(3)の事実は認める。

(ハ)  しかし、原告の主張する本件監査は被告に対する報復的感情より出でたものであつて、まさに監査権の濫用というべきものであり、これを受けることは学校教育上悪影響を及すものと認めたので被告はこれを拒否したものであるから、右拒否は正当であつて、違法ということはできない。

(ニ)  また、原告は被告からその監査を拒否する旨の通知を受けたことによつてその監査委員たる地位乃至権限に何ら変更又は影響をうけるものではないから、本訴において、右拒否が無効であることの確認をもとめるにつき、正当な利益を有しない。

四、被告の答弁に対する原告の反駁

(1)  本訴はいわゆる機関訴訟であるから不適法であるとの主張について。(前掲二の(1)の(ハ))

いわゆる機関訴訟について、特段の規定がなくても訴を提起することが許されることは、普通地方公共団体の機関である議会の議員がその資格に関し、(例えば除名処分の取消等)等しく機関たる右議会を相手方として出訴することを認められていることに徴しても明らかであるから被告の主張は理由がない。又、いわゆる機関訴訟について、訴の提起を認めないのは、それは行政権の内部において解決すべきものであるとの理由に基くのであるが、本訴においては、原告も被告もともに独立の機関であるので、行政権(すなわち、本件においては小倉市)の内部における解決調整は到底期し難い。かゝる場合の解決は、行政権の内部においてゞはなく、まさに「法律上の争訟」として司法権によりなさるべく、従つてこの点からしても原告の本訴は適法である。

(2)  原告の本件監査が監査権の濫用であるとの主張について。(前掲二の(2)の(ハ))

原告が被告に対する報復的感情から本件監査をするに至つたものであるとの点は否認する。

五、証拠〈省略〉

理由

原告主張の前掲二の(1)乃至(3)の事実は当事者間に争がない。してみると本訴の対象は普通地方公共団体の執行機関である監査委員たる原告(地方自治法第百九十五条第二項、及び成立に争のない甲第十四号証(小倉監査委員条例)参照)と同じく右小倉市の執行機関である被告教育委員会(地方自治法第百八十条の四第一項参照)との間において、原告の監査委員としての権限の行使について生じた紛争であることが明かである。ところで、当裁判所はこのような普通地方公共団体の執行機関相互の紛争は、つぎにのべる理由により、法律が特に訴の提起を許している場合のほか訴訟の対象とはならないものと解する。

第一に裁判所は日本国憲法に特別の定のある場合を除き一切の「法律上の争訟」につき裁判する権限を有するものであるが、(裁判所法第三条参照)右「法律上の争訟」とは裁判所による法規の具体的適用によつて解決調整され得べき法人格者間の権利義務の存否に関する紛争すなわち争又は事件を意味するものと解すべきである。本来裁判所は民事又は行政事件においては、私人相互間又は、私人と国家との間の権利義務に関する紛争を解決調整し以て私人の法律生活の安定を期すると共に、社会の法秩序を維持確保することを目的とするから、その権限も右の如き法律上の争訟の裁判に止りそれ以上の権限を有するものではない。従つて、本件のように行政権の内部における機関相互間の紛争の裁判が右にいう法律上の争訟として、当然に裁判所の権限に属するものということはできないのである。

第二に、本件の如き機関相互の間の紛争は、本来原則として行政権の内部において解決調整さるべきものである。このように内部における解決調整を期することこそ、互に鼎立し相侵犯せざることを認めた三権分立制の本旨にそうものであり、又その一である行政権を重からしめる所以でもある。従つて、このような機関相互の紛争について、行政権による内部的解決ではなく、特に司法権従つて裁判所による解決調整が認められるのは例外的に立法政策上、特に心要と認めて法律が特段の規定をした場合に限られるのである。(例えば地方自治法第百七十六条。この場合は、事が法の適用に関し、しかも他に正当な判断を下し得べき行政機関が存しないという立法政策上の必要によるものと解される。)

第三に、行政庁は、その違法な行政処分の取消変更をもとめる訴訟(いわゆる抗告訴訟)において、被告たる適格を有する。しかしこれは特に法の規定(行政事件訴訟特例法第三条)をまつて始めて然るのであり、しかもそれは右の如き訴訟における便宜的考慮に出たものにすぎない。このように、本来人格を有しない行政庁は、ただ右のような訴訟において法律により便宜的に被告たる適格を認められるに止るのであるから、行政庁乃至行政機関が独立して原告として、適法に訴を提起し、訴訟を遂行することは特にこれを認めた法規の存しない限り許されないのである。従つて、本件の如き機関相互の間の紛争について裁判所へ出訴するためには、右のように訴訟の本質に由来する制約によつてもまた特に法律に規定の存することを要するのである。

以上認定のように、本件のような普通地方公共団体たる小倉市の執行機関相互の間の紛争は、法律に特段の規定ある場合のほか、法律上の争訟として、訴訟の対象とならないものというべきところ、地方自治法その他の法律において現在本件の如き監査委員の権限の行使に関する紛争につき、訴を提起することを認めた法規は一も存しない。従つて、原告の本訴は不適法というほかない。

なお地方公共団体の議会の議決により、除名された右の議員がその効力を争つて訴訟を提起し得ることは原告所論のとおりである。しかし、これを目して、機関相互の間の紛争となし得るやについて、既に多くの疑問の存するのみならず、議員の除名の如きは、単に議会の内部紀律という限界をこえ、直接市民法秩序につらなる問題であるとも考えられるのでこれを以て、本件と同一に断ずることは到底できない。又、原告たる監査委員も被告たる教育委員会も共に独立の執行機関であるところから、その間に生じた本件紛争を普通地方公共団体たる小倉市の内部で解決調整することは、原告所論のとおり或は困難かも知れない。しかし、現在の我国の法律は、これをその内部において解決調整すべきものとしているのである(地方自治法第百三十八条の三第三項、第二百五十一条参照)から、この一事を以て、既にのべた本来の原則を破り本件紛争につき出訴が認められるとすること、即ち司法権の干渉を許すとすることは、到底肯認出来ないところであるのみならず、かゝることは決して行政権を重からしめる所以でもない。

してみれば、原告の訴は、既にこの点において不適法であるから、更に判断をまつまでもなく失当として却下を免れない。よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 丹生義孝 亀川清 川上泉)

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